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1: 風吹けば名無し 2022/03/24(木) 16:18:57.64 ID:COuRn+260
一、日ロ領土問題の原点と解決の基本方向は
(1)歯舞、色丹と千島列島全体が日本の歴史的な領土
 政府もマスコミも、ロシアとの領土問題というと「北方領土」という言葉を使います。「北方領土」という場合、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の四島のことをさしています。

 しかし、日本の歴史的な領土は、この四島だけではありません。歯舞と色丹は、もともと北海道の一部です。国後と択捉は、千島列島のなかの南千島部分だけです。本当は、その北にある得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)までの北千島までを含む千島列島全体が、日本の歴史的な領土なのです。

https://www.jcp.or.jp/web_policy/2001/04/post-296.html

参考、千島列島の範囲

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2: 風吹けば名無し 2022/03/24(木) 16:19:13.89 ID:COuRn+260
 このことが確定したのは、幕末から明治にかけての十九世紀後半のことでした。

 それまでは、千島列島と樺太(サハリン)島がどの国の領土であるかは確定しておらず、千島列島の南からは日本が、北からはロシアが、それぞれ 進出し、利害が衝突したところでは紛争が起こるという具合でした。それが、千島は日本の領土、樺太はロシアの領土となったのは、二つの条約が結ばれたこと によってでした。

 一つは、徳川幕府と帝政ロシア政府との間に結ばれた、一八五五年(安政元年)の「日魯(にちろ)通好条約」です。伊豆の下田で結ばれたこの条 約によって、択捉島と国後島の南千島は日本領、得撫島から占守島までの北千島はロシア領とし、択捉島と得撫島のあいだの海峡を日ロ間の国境とすることが決 まりました。しかし、樺太島については、両国間の境界を決めず、従来どおり日本人もロシア人も自由に活動できる“雑居の地”とされました。

 もう一つが、その二十年後、一八七五年(明治八年)にロシアの首都サンクトペテルブルクで結ばれた「樺太・千島交換条約」です。この条約に よって、樺太全島をロシア領とするかわりに、北千島を日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となったのです。この点では、日露戦争の結果、日本がロシアから奪いとった南樺太とは根本的に異なります。

 このように千島列島は、日本が暴力や戦争で他国から奪った領土ではなく、平和的な外交交渉によって日本への帰属が最終的に確定したものであ り、日本の歴史的な領土を問題にするなら、一八七五年の樺太・千島交換条約で画定した国境が、日本とロシアとのあいだの歴史的な境界線となるべきことは、 日ロ外交史が示す自明の結論です。


引用元:https://eagle.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1648106337/


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