ええんか?
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支那
しな
中国本部地域の別称。その語源については明らかでないが、一般には紀元前3世紀末、中国を統一した秦(しん)王朝の秦の音がチーナChinaとかチンThinとして西方に伝えられたことによるという。それが仏典に記され、さらに漢訳されて支那となった。この語はまた脂那あるいは震旦(しんたん)(チニスターナ。支那人の住地の意)などと音訳されている。したがって支那は外来語であり、英語のチャイナChina、フランス語のシーヌChineなどもそれから出た語である。なお、日本のアジア地域への侵略過程で、侵略を正当化する理由の一つとしてその地域の住民を劣等視したことなどにより、支那ということばに蔑視(べっし)の意味はないが、日本人が使用すると蔑称的性格をもち、また中国人も侮蔑(ぶべつ)感を強くもつため、第二次大戦後は使用を避ける人が多くなっている。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
支那 (しな)
Zhī nà
外国人の中国に対する呼称。中国人も清末に満州王朝への臣属を拒否する意志をこめて用いたことがある。語源についてはふつう,秦の名が音変化して西方に伝わり,とくに南方海路を通じて古代インドに入ってチーナスターナCīnasthāna(チンの土地)とサンスクリット表記されたものが仏典漢訳の際中国に逆輸入されて〈支那〉と書かれたといわれる。唐初の玄奘も中央アジア,インドで自国が支那と呼ばれたことを伝えている。日本にも仏典を通じて伝えられ,空海の《性霊集》にすでに見えるが,新井白石の《西洋紀聞》など江戸時代中・後期ころからしだいに普及し,明治になって英語のChina,フランス語のChineなどとの対応から,清国や中華民国の国号とは別個の広義の地域名称として通行するにいたった。しかし,中華民国成立後,日本政府がことさら政治的意味をこめて使い,日本の大陸侵略と結びついて蔑称的性格が強められた結果,第2次大戦後は使用が避けられるようになった。
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」
支那
しな
かつて外国人が中国を呼んだ名称
前3世紀末期,この地域を統一した秦の名が,その国威の隆盛に伴って四辺に広まり,秦の滅亡後もその名は西方に伝わったという。それがなまってSina, Thinaなどとなり,近代のChina(英語)などとなった。インドでもCinaと呼び,これが漢語に翻訳されて「支那」「斯那」などと記された。日本では江戸時代に新井白石が使用して以来,第二次世界大戦まで中国の一般的な呼称として使用された。日本の中国侵略と関連して蔑称的な性格をもったため,第二次世界大戦後は使用を避けることが多くなった。
出典 旺文社世界史事典 三訂版
引用元:https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1726856139/
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